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兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

高松住居(三度目)

去年退去したばかりだけど、勤務先の三件隣のマンションを借りれたのでようやく入居。

ホテル暮らしが終わった。

リュックひとつで暮らせるようにしていたので、入居したワンルームに置くものも特にない。

安いソファとテーブルとプロジェクターを買った。冷蔵庫や調理器具は来月に。節約と移動を前提に物品を調達している。
ベッドも今回は買わず寝袋にした。キャンプ用の椅子をベランダに置いて、煙草とコーヒーだけは満喫する。iQOSとインスタントコーヒーやけど。

家具も基本的に買わないつもりで、段ボール箱を再利用や突っ張り棒で簡易な棚を作り、退去しやすいようにする。そんなことを考えたり実行するのがちょうど良い。
失敗も楽しいだろうし。


ところで、酒を止めて健康的になったのに、どうやら細菌?に感染してるのか右の胸部と背中の異変が一週間ぐらい続いている。服が触れるたびに痛みが走る。一日中痛いけど、自炊が出来るようになればそのうち治るんじゃないか。病院に通う気持ちは湧かない。
先ずは食生活を正さねば。これはなかなか一人だと難しいなあ。


仕事がおもしろい。
勉強もようやく始めた。
だらしないけど少しずつ前進。

リズム

リズムを捕まえて乗る。
馬に乗ったことは無いけれど、お喋りするように付き合えたらスピードを感じたり、頭の中がスーッとしてくる。

ライブがうまく行ってる時はおそらくそんな感じだった。

今はひたすら仕事に集中して、身体と付き合うだけで精一杯。


先週に続いて早朝から庭を手入れして、今日は花を植えた。草花のことはまるで分からないので家人に教えてもらって花を買った。
生き物なのでどうなっていくのか楽しみ。
福岡に帰ってくる楽しみが増えた。



昨日は夜行バス明けで検察庁、免許試験場をまわりまた身の程を知った。

ただ、自分はダメだダメだとのぼせるのではなく、力強く柔らかく生きる術を身につけたい。失敗の仕方はきっと色々あるはずだ。
それを楽しめる環境を作るのは土をいじることと似ているのかもしれない。

実や花がついてまた腐っても土は強くなるもんな。そうじゃないのかもしれんけど。

土いじり・掃除・ロックンロール

いつも通りの時間に起き、起きたままの姿でそのまま庭へ直行。無心に三又で草取り。
根を掘り起こせた時の音や土の匂いが気持ちいい。

家人が起きてからは車や原付を洗い、泥と汗まみれの服を洗う。それもこれも天気が良いから。こたつ布団やカーペットをコインランドリーで洗ってしまう。

こんなん毎年のことなのに、今までやった記憶が無い。やったことはあるのかもしれないが、何も覚えていない。白痴だ。

今夜の夜行バスでまた高松。
幸運にも賃貸マンションを借りることが出来そうだ。そんな審査すら通る気がしなかった。

2月の終わりにサニーサイドキッチンでライブをやってから一度もギターを触っていないけど、まだ共鳴した音は耳に残っている。
この音が聞こえないような暮らしにならないように生きれたらいい。

高松ホテル暮らし

いただいた仕事のみに集中しているせいか、机仕事はかなり捗っている。客先常駐という形式も緊張感があっていい。

しばらくホテル暮らしをしているが、激安ビジネスホテルから出かける気もしない。
掃除してもらいやすいように使うのが楽しい。

永遠にインスタントコーヒーを飲んでいる。

今夜のバスで福岡に帰り、また日曜日の夜にバスに乗って高松へ。

酒を呑みたい気も起こらないし、歌を歌いたい気も起こらない。

さっきは献血なんぞやってきたが、酒をやめてもγGTPは基準の三倍。それはそれでなんだかホッとする。

単調と言えば単調な生活だけど、過去を上書きするわけじゃなく、これは新しくて古い生活。
必要なことしか出会わないんだ。

ケンちゃん、ありがとう。

昨秋からアルバイトを沢山やってきた。
文字通り、寝る間を削って働いていたせいか、どこか壊れかけていた。働けば働くほど追い込まれていくのは設計が拙いからなんだけど、破綻しないと止まらない。

しかし、警備の仕事もタクシーの夜間事務も刺激が沢山あり、学びと気づきに溢れていた。

そして水崎組のビルメンには昨日までお世話になり、本当に助けられた。一番苦しい時に仔細を聞かず受け入れてくれるのは友達だからかもしれないが、誰でも出来ることじゃない。
役に立っているのか不安だったけど、仕事をさせてもらって本当にうれしかった。
覚えも勘も悪い人間を(きっと我慢しながら)使ってもらった。自分もそうありたい。


腰痛は爆発してるし病も活発だけど、ぐっすり眠れるようになったのは水崎組のおかげ。
また、音楽活動を休止するにも関わらず、温かい支えをいただいた友人諸氏のおかげです。


他人にとって当たり前のことが俺には難しい。
だから少しずつやる。
出来ることはしっかりやる。
やり過ぎないように視る。

ケンちゃん、ありがとう。

歌わないのではなくて歌えない

自分の底が抜けたというか、なぜ人前に出てやっていたのかが、今はわからない。

自己肯定感というやつなのか、そのへんの部分を失くした。「自信がない」という言葉がいちばんぴったりかも。

「ただギター弾いて歌うだけなのに、勿体つけんなよ馬鹿」とも自分で思うんだけど、まあでもそれぐらいのことが自分には大事なことで。

なにしろ今まで味わったことが無い感覚。
今はギターも触りたくない。

たぶん俺は不真面目に生きて真面目に歌っていた。今、真面目に生きようとしている。自信を持てるのはもっと先なんだろう。

どこかで区切りをつけよう

一昨年まではこうしたブログを書いても続けることが出来なくて、twitterと連動したりとどうでもいいような延命策を試したりした。

去年の大きな変化の中で日々更新することが習慣化されて、何か書いて自分を保つことが出来たように思う。

 

承認欲求は当然あるけれど、自分の変化を自分で確認できることがこうした作業の効果だ。

 

極力、事実はそのままに脚色せずに淡々と書いた。

それが日々ご迷惑をおかけしている方々には不快に思われることもあるだろうし、読み返して愉快になるものばかりではない。家族もきっと嫌だろう。

 

何か表現するものは推敲することが必要だし、推敲や編集には時間をかけるべきなのだ。俺には音楽が合っているし、書き物は無くなった叔母が残した祖父の日記や父の雑文等、「昭和の遺族」のデジタルアーカイブがやりたいこと。

 

俺自身の再生というか、再生する必要もなく唾棄すべき部分はこのへんで。

 

このへんで区切りをつけよう。