一昨年まではこうしたブログを書いても続けることが出来なくて、twitterと連動したりとどうでもいいような延命策を試したりした。
去年の大きな変化の中で日々更新することが習慣化されて、何か書いて自分を保つことが出来たように思う。
承認欲求は当然あるけれど、自分の変化を自分で確認できることがこうした作業の効果だ。
極力、事実はそのままに脚色せずに淡々と書いた。
それが日々ご迷惑をおかけしている方々には不快に思われることもあるだろうし、読み返して愉快になるものばかりではない。家族もきっと嫌だろう。
何か表現するものは推敲することが必要だし、推敲や編集には時間をかけるべきなのだ。俺には音楽が合っているし、書き物は無くなった叔母が残した祖父の日記や父の雑文等、「昭和の遺族」のデジタルアーカイブがやりたいこと。
俺自身の再生というか、再生する必要もなく唾棄すべき部分はこのへんで。
このへんで区切りをつけよう。