言葉がこれほど鋭利に育つ時代は、侮蔑や扇動がよく育つ。それは表現や議論を衰弱させていく。
みんなどこかサムネイル的。
友部正人の「にんじん」が沁みるのは、鋭利なのに暴力にならないところ。傷をえぐるのではなく年輪や皺にしていくところ。
わざわざ言葉にして発しているのだから、誰しも愛情から生まれたことなんだろうけど、侮蔑や扇動は悪臭しか残さない。
悪臭の中で殺しあいたくない。
でも悪臭と向き合うことが肝要なのだと思う向きもあり、表現活動なんてまさにそう。
「やさしいにんじん」で描ききれなかったのは、弱々しくしぶとい祈り。悪臭ほど強くない人間の匂い。
侮蔑や扇動から距離を置いても向き合うことは出来るし、いのちは燃えるよと。
そんな歌がいつか歌えたらいい。
今はそこから逃げているのかもしれないな。
歌いたいと思うときはいつかくる。
歌いたくないってことを忘れたときにきっとくる。