あの人は凄い、と言いたくなる対象は確かに魅力的で、自分には出来ないことが出来る人だったりする。
俺も「凄いよねー」とかよく言う。
何がどう凄いのか、よく分からないから「凄い」と言いたくなるのかもしれない。
まわりと比べてどうだとか、自分が感動した量が理由だとか、「凄さ」というのは曖昧だから良いのであって、言語化するのは難しい。
俺にとっては早川義夫さんや遠藤賢司さんがそうであるけど、曖昧な褒め言葉で消費したいものはあまり無く、他人に勧めたいわけでもない。神を分かち合うのはわりと苦手だ。
神は誰しも自分の中に持っている、内在しているものだと思う。知らなくても生きていけるし目的ではない。
たぶん、窓のようなものなのだ。
自分を解放する窓。
開かなくなった窓もあるし、最初から開かない窓もある。
解放されて、自由になって。
それでしあわせなのかと言うと、そりゃ別の話なんだよと苦笑いされる。
それでもたまに開けたくなってしまう窓。
昔のパイセン達は、ストリッパーのアレを舞台で見る時に手を合わせて拝んだと言う。
ソレにも似てるなあ。