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兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

早川義夫さんのこと

 昨日で草音楽ツアー”2009 All Tomorrows Party"が終わった。
僕は終演時刻くらいから病室でむっくり起き、新しい歌を書き出した。

「夜の病院」「寝ころんでころんで」「ぼくがいいたいこと」「君には良い名前がある」

書き終えたら3時近くになっていた。
横になろうとしたら目眩。
こんなに身体は大きいのに役に立つ部分は僅か。
良い果物にもなれない男です。




僕が早川さんの音楽を大層好きになったのは「歌は歌のないところから聞こえてくる」という2000年に出たアルバムだった。
大学を辞めてレコード屋に就職したくらいだから、ロックの巨人としての早川義夫は知っていたけれど、自分にとって一大事だ、と思えるアルバムはこれが初めてだった。

「なんてこと歌うんだろう、このひと」

そう思ったのだ。

その当時僕が好きだった女の子に対する秘めた思いを全部暴露されたような気がしたり、音楽がわからなくなってきていた僕に「そんなのないよ」と言われたような気がしたり。
とにかく「気がしたり」していた僕はうちのめされて救われた。
感動って衝撃なのかなと思った。






2009年正月の僕は非常に思い上がり、常々言う「大好きなルーリードがふらりと博多に寄って僕らのライブを覗いた時にだって言い訳しない演奏をしよう」(なんだこれ)に基づいて、(ああ、全部呼べるんだけどどうしよう)と悩んだものだ。

でも僕は呼び屋でもないし、イベンターでもない。

(よし、対峙させてもらおう)

そう、決めて早川さんの事務所にメールを送った。

同時に去年、一昨年の中で世界観(あやふやな言葉ですけれど)が近いと思った秋山羊子さんをお呼びできた。
キングとクイーンだよ。

サイコロである僕は、便宜上でも道義上でも何でも前座で出たかった。
1曲で決めたかった。



その後、アンチムジカの海雲くんも出たいと言ってくれ、彼も一緒に前座をやることにした。やることにしててよかったなあ。




心の準備を整える中、仕事を失い、
金銭的に危うさを孕んだものの(いつもの事だ)と呑気に構えて6月28日。
ご案内の通り、出演する機会は無くなった。
悩む間も無くバンドのメンバーは見事に振る舞い、主催を助けてくださった方のおかげで事故もなく終えられた。




ところで、ライブではお会いできなかった早川さんだが、なんとお見舞いに来てくださった。
佐久間さんもお世話になったマネージャーさんもご一緒でなんとも嬉しいサプライズ。
身体拭きをしていてちらかってたベッドを隠す暇もなく、お詫びと御礼を述べた。


僕が感じた早川義夫さんはこの一瞬だった。
本当を言えばみんなのライブの感想を聞いていたから僕なりに感じていたのだけど、
目の前には「なんてやさしい人なんだろう」という早川さんが居た。

笑うことが好きで
女の子も好き
正直な気持ちが好き

そういう早川さんだった。


僕はその時、思い上がったアマチュア楽家ではなく、ただの(若干弱った)宅嶋だった。

楽家として
経営者として
夫として
仲間として
企画屋としての自分は挫折ばかりでしょうもない。

でも心から喜んで御礼を言った(あたりまえですが)自分は好きだった。
僕は今、ここからしか始まらない。
感動は静かなものだった。

早川さんがそれを伝えてくれたのだ、と思っています。

お会いする機会もあれば、ライブをご一緒に出来る事もあるかもしれない。
それは羊子さんも同じだけれど、まずは今回いただいた感動以上のものをお返しできるようになりたいのだ。
僕にはいただいたものがたくさんある。


例えば「演奏だけが音楽じゃないよね」という気持ちはバンドのメンバー全員が持っていた。それが嬉しかったしそういう「演奏」の機会は今回が初めてだった。
バツイチだったり、腹が真っ黒だったり、自己中だったり、僕も同じく阿呆ばかだけど、
講釈は要らない、実現する、表現することが役目だよ、知ってる人達です。


あげるものはない、君の傘にはなれないけれど、と歌ったけれど(bigmama「雨の塔」)
誰とでも分け合える小さなパンが僕にもきっとつくれると思う。


早川義夫さんの歌はそういうパンでできている。