可愛がっていたから、そのポッカリ空いた穴を埋めたいんだろう。
「さびしいけん、飼いたいって言うなら今は止めとき」
そう細君に言った。
だって、さびしさは埋めてもしかたないし、埋まらないのだ。
犬も迷惑な話だろうし。
「何?俺、代わりなの?」って。
もちろん僕もbigmamaで出る気だったけれど、この骨折で適わなかった。
演奏できない悔しさよりも、主催として不安だった。
そもそも僕と言う名の脱線列車はあちこちに忘れ物があったり、漏れがあるから。
それをbigmmaのメンバー=草音楽仲間が代わりにではなく、しっかりやり遂げた。
「今回は運営が音楽そのもの、いつもと違うけどよろしくお願いします」
そう話して出来る限りの金策をした後、託した。
初日に僕が骨折、入院したから、bigmamaはいつもの演奏を一度もしていない。
折り返しを過ぎた今日、僕には歌う事以外で音楽をまた知った。
歌ったほうが良いとかどうかも良く分からない。
それは、比べようがないからだ。
さびしさも悔しさも埋めるものは見つからない。
埋めなくていい。
また、たくさん出会って、表現する。
好きだよ、とたくさん言う。
たくさん「音楽」を作る。