短い東京滞在の中で、尊敬する社長と仕事仲間と小一時間ほど呑む機会があった。
まだまだ挑戦する事は山ほどあり、壁はあんなにも(当社比)でかい。
おし、気合入れ直すぞ。
そう思いつつの帰り道。
細君からので電話で聞く、子供の為の集まりでの大人のいがみ合い。
非常にくだらん。くだらんけど、その渦中にあるものをくだらん、では済まされん。
そうかと思えば仕事部屋に戻ってPCを見ると会社でとても残念なミス。
ミスそのものよりも、その渦中に居るのに当事者意識が無い事、それがとても悔しい。
本質はどちらも同じなんだ。
目先の利益や成果を追いかけているつもり
自分は正しいと言いたいつもり
その「つもり」は責めない。
それでいい。
でも結果が違ったとき、どうする?
それは他人のせい、じゃないだろう。
社民党か共産党じゃあるまいし(支持者すまん)、責任追及して生活ができますか?
まるでワリカン負けしたくないがために大食いしているような浅ましさ。
正す為の過程には責任の所在を表す必要もあるだろう。
無責任な正義感は朝日新聞だけでいい。(購読者すまん)
じゃあ、お前はどうするんだよと言われりゃ、僕はズッポリそこに入ります。
抜け出るけどね、死ぬ気で!
夢と現実じゃなくて、僕が抱える現実が夢の正体でありその一部。
まだスカートをめくってもいない。
やっていないから気持ち良さもわかりません。
やった人の話でお腹一杯になるほど育ちが良くないので、自分で食べたい。
喜んで食わせてもらおう、この泥だらけの饅頭を。