takulog

兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

僕たちがブライアン・ジョーンズだった時

誰かの期待にこたえようとするあまり、近道をして落とし穴にハマったり

自分に近づき過ぎて見えなくなったり、20代からの僕は結構ズレていた。

その癖、自分はすごく特別で重要な人物ではないか、とヒソカに思っている。

現実はそういう僕に肩すかしを食らわせ。鏡を見せ、アホじゃおのれはと罵ってくる。

あー、あー、もう。

整理して考えるなんて死ぬ前にすればいい。

僕たちを片付けてくれるのはリズム&ブルースで、外国人のわけわからない吸引力とか爆発力。みっともない顔や姿もセクシーだ。

とりわけローリングストーズは馬鹿の秀才だった。

その中でも一番傲慢でシャイでいい格好しいがブライアン。

餓鬼丸出しの表情と少し見下した目線の後ろの繊細さが、未完成な(うまく言えんけど)ロックロールに表情を与える。

ブライアンは転がったりしない。

転がしているだけ。

20代の坂道の上にはいつもブライアン・ジョーンズがいた。

転がり落ちて41歳。

今日、レコード屋においてあった古本で、シンコーミュージックから出ていた「ブライアン・ジョーンズ」という本を久しぶりに買った。

そう、20歳の僕も持っていた。

大人になったからわかる理由も理屈もあるけれど、わかったところで「わかって」はいない。あれはケレン味じゃない。

衝動に忠実に生きる事はできないし、ジョイントや遊びもので勘違いする事だってもうない。けれど自分の言葉や歌やギターや仕事の端々にはその頃に感じた衝動と共鳴するものがある。

ブライアン・ジョーンズはもういないし、

彼も僕たちもひどく裁かれることはない。(たぶん)

今こそ共鳴するように自分の音を鳴らす時だ。

借り物じゃなくて

自分自身の方法で

ブライアンを思い出す度にそう思う僕はあんまり成長していないんだろうなあ。

Please don't judge me too harshly

Mr.jones