takulog

兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

くちなしの花

先日の「チャイルド・スポンサー」でも書いたけど、
「1日あたり150円、ペットボトル1本分のお金で救える命があります」というバナーも同じ理由で嫌いだ。

醜悪だから。


お金を払う事がグローバルスタンダードの中の日本人の役目か。
平和を一番望む(と思いたい)日本人はお金でしか愛を表現できないのか。 


戦没学生の伯父の手記「くちなしの花」を紹介し直していた時に目にした一文があった。
それは石垣先生(伯父の手記を大学の教材に取り上げて下さった)が紹介していた、生徒の学習感想の中にこう記してあった。



「私は今まで外国人の視点でしか戦争を見ていなかった」



そうだなあ、確かに。
外国人、と言っても色々ですが。

外国人の視点、平和を約束し合う人の視点、犠牲者の視点、確かに大事なのだ。
痛みを測る事ができない僕はその重みを感じるしかない。

同じように、いやそもそもそれ以上にこの国の戦争で戦った人、働いた人、誇りに感じた人の視点も知るべきなのだ。



伯父は悲観して死んだわけではない。
国家には絶望したけど、愛情には絶望しなかった。



経済戦争の中で敗戦の色が濃い現代。
でも愛情に絶望する必要はない。

紐付きの金を投げ散らかすような真似は絶望さえもできない。
金が人を殺すわけではないように、金は人を生かさない。
金は武器に過ぎない。




消費を寄付と言い換えるのは偽善どころではない。
だって消費が愛だと言われている気がする。



戦争は大切に思うものの奪い合い。
グローバルスタンダードなんて嘘っぱち。
自分にとって大切なものが見えない人間には戦いすらできない。

大切なものは手間も愛情もかかる。



くちなしの花はその手間さえもが愛おしくなる花だそうだ。

スローなんとかじゃなく、それがきっと基本なんだ。