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兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

放射能と憤怒

放射能が怖いらしい。

こう書くと馬鹿丸出しに見えると同時に「なんだよ、他人事かよ」とお叱りを頂戴しそうだ。
叱りたい人は壁にボールを投げるなどして、落ち着いてください。


僕が怖いのは怒り、「憤怒」だ。
怒りは人間の本能だし、それを抑える必要はないけれど激しく怒りを振り撒いたらどうなるか、は考えておく必要がある。

「戦後の日本はアメリカに飼いならされて怒りを忘れたバンビちゃん」とか
自民党に騙され、民主党にコケにされても平和ボケした俺たち」とか
「薄汚い大企業に虐げられた結果が今の現実」とか
チラシの裏シリーズのような言葉が踊るたびに薄ら寒い思いがする。
だからどうしたいのだろうか。

責任者出てこい!とか言いながら欲をかいた爺さん達を引きずりまわすか。
日本を捨てるか。 

憤怒は子供に伝えたいような内容とはならない。
僕らの中には恐ろしい程の暴力が隠れている。
その暴力をむき出しにしちまうのが憤怒だ。
まさにメルトダウン


だからこうすればいい、なんて一種類の答えなんて無い。
10人いれば10通りの答えがある(はずだ)。
他人と近づけたい気持ちはわかる。
それは愛に似ているしね。
だからと言って近づかない答えを排除してはいけない。


問題はいつも起こっている。
今は伝わりやすくなっただけ。
できることの種類も変わっただろう。
でも基本は変わらない。


放射能汚染を怖がるあまりに撒き散らされる憤怒のほうが、放射能より人間を壊すと思う。
内部被曝うんぬんではなく、確実に人間を壊す。
少なくとも人間関係は壊れるよ。
人間関係を壊してまで手にいれたい正義があるとしたら、それはとても迷惑だ。
間違っているかどうかは知らない。



離れて暮らす家族が被爆したとしても、僕が被爆したとしても
できる仕事をポンコツな身体に蹴りをいれながらやることに変わりはない。
仕事が無くなったら、探しながらゴミ拾いをするだろう。
何かと引換にした金で子供を育てるだろう。
酒を呑むだろう。
歌を作って歌うだろう。
それは間違いないよ。

僕の人生は誰かに台無しにされるわけじゃない。
著しく侵害されることはあっても、そこから生きるのは自分が決めることだ。
息子や娘が大人になる前にそれだけはもう一度しっかり伝えておきたい。

怒りは毒に似てる。
ある程度は気持ち良い。
そして必要だ。

でも脳みそに毒が回る前に冷静になろう。
他愛もないつぶやきを大事にするのがロックだ。
狂ってばかりじゃ何も聞こえないだろ。