takulog

兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

自分の正しさを証明するために誰かをこき下ろす必要は無い

数日前の夜中にかかってきた電話で友達が言ってた言葉。

そう思うからグッと言葉を飲み込んだり、怒りを抑えたりするんだけど、まだまだ生乾きの僕らはブハーっと息継ぎしたくなる。
「ふっざけんなぁー!」と叫んで後はくだらない話で笑い飛ばすに限る。

今一度、自分にも言い聞かせたい。


正しさを証明するために手段を選ばなくなったらもう終わり。
社会を変えるって事は目の前の相手や自分が変わること。
それは一度きりではない。
簡単に決めつけないで、だけど思いを込めて何度もやってみる。

愛しているからいいでしょっていう相手とは別れるしかない。



でも僕は結構みみっちくて、他人が馬鹿なことをやっていたら注意したくなる。
てめえの頭の上のハエも追い払っていないのに、だ。
泣くのもやめたい。
怒るのもやめたい。
僕らが友達ならば、必要なときにきっと話せるに違いない。



冒頭に書いた夜中の電話の主はまた旅に出るらしい。
僕らは同じバンドを組んでいるから、音楽で話ができる。
次の演奏までにどう生きているか。
音楽はずっと鳴っている。




「なにがなんなのか知らねえけど、死にたくねぇ」
「理屈はわかった。でも忘れることなんでできやしない」
「わたしが苦しいのは誰のせい?いや、もうわたしがいるから駄目なんだ」
「もー、どうしていいかわかんねー」
「言うこと聞きたくないけど、考えたくもない」
「あいつらのせいだ!」


そんな呪詛を押し込めたり、利用して楽しむ人もいる。
炎上+ステルスマーケなんてどうでもいいことがお金になるとか。
原発はきっとなくなるだろうけど、呪いや罠がなくなることは無い。
呪いは、良い悪いではないし。



僕が何を肯定し、何を否定するか。
一生をかけてわかるのかもしれないな。