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兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

すこしばかりの

インターネットを眺めていると震災と人災を経て、分断されてしまったものは大きいなと感じる。人それぞれの現実においては僕に想像出来ない程の欠落したものがある。

そりゃ、当たり前だ。
僕はただ絶望っぽく落ち込んだだけだもの。



■長男、鼻で笑う

バスケットボールに日々向き合う長男が、知ったかぶりの僕にこう半笑いで言うのだ。

「お父さんが言ってんのって、ネットで見た話やろ?」
「その通り出来りゃ、オレこんなところにおらんよ」

嗚呼、お前は物凄く正しい。


何を知ろうともまずは自分を知らねば何処にも行けない。

出来ない事は明日出来るかもしれないし、一生出来ないかもしれん。

そのためには、自分の身体(頭もね)がどうすれば、どこまで動くのか、まずはそこからだったりする。人生は夢や希望や憶測のゴミ捨て場ではなく、事実の積み上げなのだから。

長男はどれほど足が臭くなろうと、ゲームに出る機会を自分で勝ち取る為に、チームメイトに見損なわれないように身体を張る。勉強頭が良いわけでもないので、毎晩のように遅くまで宿題をする。

17歳は45歳より積み上げるチカラに自信がある。くそう。



■お前はどうするのよ、オッサン?

僕がウルトラマンになることは100%無いし(ウルトラマン、居ないし)、インドで暮らすこともないだろう。今の勤務先の社長になることもない。

この国の組織の一員であるために働き、分不相応の金を稼ごうとし払おうとするのだ。
新聞もテレビもインターネットも僕に優しくはない。
家族や恋人(いませんが)や友達さえも甘ったれさせてはくれない。

だからギターを弾いて歌います!ってわけではまったくない。
音楽なんてただの手段、方法。
声出なくなったり、腕なくなったら出来んし。

喪失感と向き合ったり、糞つまらない事を丁寧にやる事は大人の仕事であって、逃げてもしゃあないもんね。



■すこしばかりの

17歳に見下げらたまま余生を過ごすわけではないし、彼や15歳の娘に粗大ゴミ&キャッシュディスペンサー扱いされる事に甘んじるわけにはいかないので、すこしばかりの抵抗をしています。

大事なのは、この「すこしばかり」。

昨日出来た事が今日出来なくなる年齢はもうそこまで来ている。

だからすこしばかりの工夫が必要だ。
昨日と違う基準を見つける事もそうだし、特異点というのは他との比較でしか無いのだから、自分に出来る事を諦めない事もそうだ。
ガッカリしたり、挫折してからの立ち直るスピードだって重要だ。


世の中を変えるチカラを僕やあなたが持っていないかと言えば実は持っている。
でもすこしばかりの、チカラ。

昨日の目玉焼きより今日のが旨ければ僕の小さな世の中は変わんのよ。
SNSの情報より大事なものが山ほどある。

自分の身体、相手の気持ち。
それが後回しになってきたらどんどん辛くなる。

すこしばかりの工夫の中身は人それぞれ。
僕は糞生意気な17歳と不器用な15歳の顔を思い出すようにしています。



僕の世界や住む国はそこからしか変わらない。
・・・ような気がします!