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兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

「筑紫耶馬渓」の名付け親?

この写真は昭和10年頃、博多区住吉にあった祖父が経営する「筑紫自動車株式会社」の本社前のものです。

筑紫自動車は昭和2年から約20年間、住吉から筑紫郡那珂川町まで乗り合いバスを走らせていました。

平日は3台のバスで一往復ずつの運行でしたが、日曜祝日には筑紫耶馬渓まで臨時便を出していたそうです。

(写真後列右から5人目の)祖父は五ヶ山から市ノ瀬付近の渓谷が大分県の本耶馬渓に似ているということから「筑紫耶馬渓」と名付けたらしく、乗客にも人気のある観光スポットだったとのこと。

当時のバスは満員で乗れないときには、車体にしがみついて乗る?人もいたとか。

※写真とコメント原文は叔父・宅嶋徳行によるもの。