そんなタイトルがつきそうなくらいここ2、3日良く聴いている。
「歳月の記録」「柱」「凡骨の歌」「陽はまた昇る」「ベスト」。
農場で時折かかる際に「ああ」を耳にとめることがあっても、積極的にはきかなんだ。
実は好きだというのが恥ずかしいなあと思っていたこともある。
特に近頃、何かの縁で借り物のグレッチを弾きながら歌うようになってなおのことそう思っていた。
ボーダーラインで働いていた若い僕にとって身近な等身大スタァであり、ええかっこしい(失敬)の先輩であるのが山口さん。渡辺さんや大島さん藤原さんも優しくええかっこを貫く先輩だった。
少しだけ身近に酒を呑めるスペースで与太話に耳を傾ける巨漢の後輩が僕である。
今、それが一本の線で繋がるように聴けたりするから不思議だ。
こんなに取り組んで伝えていたんだ、と音楽が教えてくれる。
しびれ上がるほど好きでないにしろ、この音楽があってよかったなあと思う。
「しびれ上がるほどは好きじゃない。けど結婚しようと思った」と昔に細君から言われたことがあった。その彼女の実家に置き去りにされていたこの数枚のCD。
センスが良いわけでなく、
真骨頂であるわけでもない。
ただ人の部屋にずっと居る、
忘れ物のような現在進行形。
なぜ今聴いているのかといえば、僕がそうであるからに違いない。