僕は面倒臭がりのわりには波乱を好む。
波乱を好むわりには手立てが幼稚だ。
そんな僕に好んで仕掛けてくる仕事仲間(・・・?)のK氏が居る。
僕からすると「ガキばい、こいつ」と思うのだが、なかなか巧妙に仕掛けてくる。そんな関係の中で互いのシェアを分捕ったりしているのだ。
僕は結構彼が好きである。
ただ呑まないし、そうした気分にもなれない。
日々の争いに没頭していると本来の争点、なるものが見えにくいという。
でも年がら年中TVやネットで情報マニアになっている連中よりは本質的ではないか。
僕もニュースは読むのであるけれど、判断するのは日々の争いの中で芽生えた感覚だ。
闘わない立場の言葉はどのくらい美しくても虚しい。
美しければどこか闘っているとさえ思う。
選挙も戦争も貧困への恐れと正義の拡大の表れで。
どこをどう考えれば「バカバカしい」なんて思うのか。
どこをどう感じたら<憂いの御旗>で平和を語るのか。
「貧乏に耐えられない俺は間違ってないよね?」と暗部を摩りあう姿はどうにも醜い。
いや、醜い僕が言うのだから本当です。
だから僕はK氏とは暗部のちぎりあいを心がけている。
静かな殴り合いをする。
バランスで成り立っている。
それは世界共通の感覚。
んー、おかしいかもしれんなー、僕。
弱いくせに喧嘩はするのだ。
明日もジャパニーズ・スマイルで。