草音楽で滋賀県大津に部屋を借りた。
なぜか、はどうでもいい。
早速本屋歩きをして買いました「近江商人」関連書籍。
その中で出てくるのは「三方よし」という理念。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」という事。今風に言えばCSR。
マルチはこの上澄みだけをさらっていくけど、まったく本質とは違う。
零細企業という言葉が好きだ。
細い糸をこよりにしていく仕事が好き。
それは中小企業が直面する課題の解決の糸口になるのだ。
中途半端な大きさの仕事をたくさんやっても身につかない。
始末する、意識が無いと大きな世界も見えない。
違うな、と感じる側面もある。
創業者の教えを守る頑固さは素晴らしいけど、いただけない。
創業者を超える為には壊す事もある。
基本はいつの時代も変わらないのと同じように、創業の心も変わってはいけない。
だから「老舗商売」が好きじゃない。
看板頼みの商売なんてあり得ない。
それは信用という名前の情報を売っているに過ぎない。
もちろん悪いことじゃない、僕が好きじゃないだけ。
近江商人だって最初は冒険心旺盛で逞しい人達だった。
教えに学びながら超えていく気持ちが「創業」であり「原点」だと思う。
零細企業は一番その創業や原点に密接なはずだ。
じゃあ、きっとうまくはずだ。
自宅のご近所さんに自分の仕事が何かと伝わっているか?
会社も店そう。
それは告知してまわれ、という事じゃなくて伝わる努力がきっと足りないんだ。
会社も店も誰だって作れる。
いい企画や美味しいご飯や商品やサービスも作れるかもしれない。
でも商売の本質はそこじゃない。
「三方よし」はそれを教えてくれる。
利益が高いほど良い商売?
それが続けれると思わない。
今、取った高い利益は、何かの代償だ。
「何か」。それは自分の未来だと思う。
お金に自分の未来があると信じる人はそれでいい。
賢い人ならば。
「周りの人よりは自分のほうが賢い」という程度の賢さなら捨てたほうが良い。
僕はそう思っていて酷い目にあった。
誠実であり続けるのは難しいけど、毎日思い新たに生きればいいと思っている。
賢くない僕の選択はそれだ。
良い結果は残せていないけど、父が商売をやっていてくれて本当に良かった。
叔母や祖父が文字に残して伝え、教えてくれて良かった。
優しい家族や親戚でいてくれてありがたかった。
自分の番、が今だ。
僕も僕の仕事仲間も子供に何かを伝えていく番だ。
それが仕事の成果でも、歌でも、眠っている姿でも良いと思う。
懸命に生きて伝わらない人なんかいない。
昔の近江商人だってまさか、現代の僕がこう感じているなんて思いもよらなかったはず。
伝わった理由は「三方よし」の理念があったから。
そう、理念こそが商売や家族を助けていくと僕は思う。