長男が中学校に入った事をきっかけに「PTA」の係をすることにしました。
入学式の後に誰が委員になるか、という無言のオシクラマンジュウが始まった為、イラチな僕は自ら手を挙げたのでした。
細君は「あっちゃあ・・・」と言いたげな顔。
なんね、いかんとな?
そして3ヶ月が過ぎようとしていますが、細君の表情の理由がよくわかりました。
まず、男親はいない。
女性の集団に男が1人で入るという恐ろしさを実感しています。
恐ろしさ=それは半強制的に集められる「セミナー」や「研修」のこと。
お母さん達、そんなに馬鹿にされていいの?
と言いたいくらい、行政は「手厚い」。
その手厚さは税金。
誰か1人が使いこむのは許せんけど、<薄く広くまんべんなくなら良い>それがこの国のコンセンサスなんでしょう。
先生方のお手伝いや自分の子供以外の生徒も一緒に育てていこう、そういう主旨ならお金も時間も惜しくない。
しかし、実際は「公平な世の中の実現」とかに熱心なのです。
これじゃ子供をネタにしたイデオロギーの押し付けじゃん。
世の中は公平じゃない、大人ならみんな知ってることでしょう。
せめてここだけは、という箱庭療法がPTA活動なのか?
「役」をする人が大変=不公平だから、「全係制」にしようなんて声もある。
みんなが薄く広く苦しむならいいのかな。
できる人ができる範囲でできること。
それでいいじゃない。
それで伝統やルールが失われようと、大事な事は「みんなで子供を育てていこう」それだけなんだし。
PTAという組織や概念が親を苦しめるのなら、要らないでしょう。
自分達のサイズに合うやり方で良いと思います。
きっとそれが面倒くさいんだろうね。
面倒くさいから下らないルールでも守ろうか、ということか。
そういう大人の態度も現実的で良いですけど。
地域、学校。
こうした「活動」が嫌な人って多いでしょうね。
僕は嫌いじゃないだけ。
社会人って働きながらそういう事に参加するもんだ、と思ってます。
アウトローで生きるなら徹底的にどうぞ、かな。
それはそれで人間に優しくないし、タフじゃないと生きていけない。
くーだらんなーと思いながらも、今、PTA新聞を作っています。
こういう「広報」そのものは不要だと思うし、くだらんけれど、尊敬できるお母さん達に出会えた事はラッキーでした。
頑張っている人は本当に多いんだ。
自分の枠を少しずつ壊して
時には他人の枠を壊したりして
お互いのエネルギーをわけあいながら
歳をとっていける、「大人」になる。
自分の子供だけじゃなく、そこいらの餓鬼に伝えられることはそのぐらい。
いつまでも不満は言えないし、あきらめてばかりじゃ人生つまらんよ、と。
このままPTA会長を目指し、就任時の挨拶で
「えー、これで本校のPTA活動は終了します、解散!」
と、やったら面白いだろうなー。
フフフ。
守るべきものは形じゃなくて愛情。
やりたい人だけでやれるだけ、愛はそんなもので良い。