「最高のアマチュア・ミュージシャン」
そう言ったら何を思い浮かべるだろうか?
そうだったら嬉しいけど、「ああ食えない人の言い訳ね」と言われかねないご時世だ。
なんだかすべての価値が金で測れるような錯覚をおこした人も多いから。
プロでない理由。
それは何かが欠けているから。
職業音楽家になれない理由がそこにはある。
しかし音楽とそれはあまり関係がない。
確かにプロだからこその素晴らしさと、アマチュアだからこその素晴らしさは違う。
そこに優劣をつけるのはナンセンスだ。
だって楽しむものなんだから。
具合の良いバランスを越えて偏愛してしまう事や、
欠けた部分に観る側(聴く側)の想像力を受け入れていくのがアマチュアミュージシャンだ。
それは演奏だけでなく生き方にも現れる事がある。
僕は田舎の音楽好きに過ぎない。
度を超えて、演奏旅行に出かけたり催事を企画したりもする。
家族や仕事仲間の理解を常に求めて(時には無視もし)歌を作り、歌う。
自分の居場所を見つけ続けたいからかもしれない。
それは今の仕事が企画やコンサルタントであるからかもしれないが、
「違和感」を仕事の源としているからだ。
指摘屋では食えないし、違和感を学んだ事や想像で埋める作業を繰り返すのだ。
それは音楽と良く似ている。
その上で、僕は音楽を生業とはしない。
いつかはそうなってしまうのかもしれないけれど、
今は最高のアマチュア・ミュージシャンを目指したい。
僕のエゴを育て続けたい、というと語弊があるけれど僕の成れの果てを見たい。
その上で誰かの役に立てればこんなに嬉しい事はない。
入院生活でそのアマチュア・ミュージシャンもできない。
それは苦痛だ。
でもそのおかげでよくわかった。
人気者気取りをするくらないなら、まず生活に復帰する事だ。
アマチュア・ミュージシャンは人気商売ではない。
生き方だ。
器だ。
欠けても使い続ける器だ。
僕は音楽を(勝手に)学んだ。
この器を壊しながら、また作り、欠き、継ぎ足す。
こんな事書くくらいなら歌えばいいのに。
きっと書く事も好きなんだろうな。
エゴ嶋の旅は果てしないです。