昨日だったか、テレビで小澤征爾が指揮に復帰したドキュメンタリーをやっていた。
なんと言おうか、面白そうなクソジジイというか、神々しいというか。
指揮をとるその姿がとても美しかった。
身体は自分の意識ほどには動かない。
それが小澤征爾にはとても悔しい。
動かないことよりも、音楽を伝えきれないのではないか、という不安に対して苛立ちを感じていた。
この面倒くさそうな爺さんが放つ力は大きい。
テレビ番組のしょうもなさなんて気にならない。
人間はどこか不完全なのだ。
みんなどこか危うい。
音楽が機能し始めると、その不完全さや危うさが音符の一部になり、
演者と聴衆という関係から円に変わっていく。
いや、オカルト話じゃないですよ。
なんつーか、円、なのですよ。
僕の足らない言葉で言えば。
ちょっとセックスにも似てます。
テレビを通して見た小澤征爾の手はすごくセクシーでした。
せくしかった、です。