父が亡くなってお寺に伺うことが多くなり、今日は「永代経法要」なるものに行ってきた。
家が浄土真宗だった、というだけで、俺自身は門徒である認識は無かった。
宗教の押しつけがましさが苦手なのと、都度、お布施やなんやらで金を工面することに苦痛を感じていたからだ。
父もまったくと言っていいほど信心が無く、好きなままに生き、死んだ。
法要は門徒で経をあげて講師の法話を聴くもの、と我らがインターネッツで調べて、お布施みたいものを用意して臨んだ。
結果はそれでは不足であり、法要に参加する門徒には必要なグッズがあり、皆さん揃えていらっしゃる。
無くても責められるわけではなく、半袖+短パンで裸足というラフ過ぎる格好でも一応は参加できた。
(まあ、常識知らずだこと)
お経をあげるのは嫌ではないのだけれど、合唱するのだけはとても嫌だった。
必要な要素なんでしょうがおっさんには苦痛だ。
みんな好きになるもんなんすかね。
そんな中、山口県下松からやってこられた専明寺のご住職の法話にとても感動した。
恥ずかしいが、少し泣いてしまった。
当たり前だが話が上手い。聴き手と自分の空間を理解してそこを操ることができる。
伝えたいことはとても優しいトーンで話される。
まさに落語であり音楽なのだ。
「えー」とか「あー」とか無駄な音を挟まない。
法話の中身も心にすとーんと落ちるもので、苦痛だなんだと嫌がっていないで、違う感性や考え方にも近寄って、身勝手な自分を知り、強さや優しさを大事に出来るようになりたいな、と思った。
ご住職の狙い通りなのである。
違う考え、違う生き方。
尊重し続けたい。
どんな宗教も間違いとは思わない。
それが必要な時期、人はいるのだから。
ただ好きになれないものは仕方ないよね。
久しぶりに自宅でゆっくり出来た日でもあったからとてもいい日だった。
母の日だけど、お父さん、ありがとう。