takulog

兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

戦争と音楽家

悪意は無くとも人は死ぬ。
悪意があれば尚更で、善意に似た悪意であれば尚の事。

子供や友人から学んだ事は、自分の茶碗の飯を分け与える事ができるって事だ。
それは自然に行うことでキャンペーンに突き動かされてすることではない。
それも一つのきっかけかもしれないが、まずは身の回りの愛する人間を愛することで始まると思う。

不特定多数の人に、または自分のファンに何かを問い、動かそうとする事は間違いじゃないけど気持ち悪い。
意見があれば音楽家は音楽に吐き出せばいい。
選挙に行けばいい。
それでも足りなければ自給自足すればいい。
けど、世の中に対する不満は消えない。

人間は社会的な動物だという。
社会ってなんなのか。
俺とあんたの関係に時間と質量が加われば社会の始まりだ。

戦争を論じる人はとても好戦的だ。
平和を訴える人もなぜか好戦的だ。
そこには言葉にしているものとは別の目的があるのではないか。

ミスターソングライターは歌えばいい。
たくさんコレクションしているギターがあれば、救いたい人にシェアしてあげればいいのだ。
俺はそうやって友人から救われてきた。
そのことを恥じていない。
時々子供に会うときにギターを持っていれば触らせる。
モノはあるだけ分けられる。
愛情は分けるのではなく注ぐから簡単じゃない。
ボブディランはそう言ってたらしいじゃん。

俺の顔は本日この瞬間、強張っていないだろうか。スマイル0円。
戦争も戦争反対もやらない。
戦いは自分のものだ。