takulog

兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

一昨年の秋や去年の夏は最低だった。Yは死んだけど僕は生きている。それだけの夏を味わっている。

仕事のイベントで余ったラジカセを自分の事務所に持ち帰り、家から籠一杯に持ってきたカセットテープを聴いている。

古いロックンロールやパンクロックを、先輩諸氏や友人の音を聴く。新鮮。

先日の「KEEP ON JOOKIN!」でブラジル音楽にふわーりと魅せられたのが原因。

数日後もジョアン・ジルベルトが気になってMXで探す、探す。

仕事場の子に聞くとこいつがまた詳しい。

しかも60年代後半のボサノバ・コンピCDを持っていて貸してくれた。

もうズルーンとはまって気持ち良い。

また、連休中の仕事の合間にチビと細君と一緒にダイエーに買い物に出かけた時に本屋に立ち寄り、町田康の文庫を立ち読み。ずうーっと。

解説に「町田の文はセロニアス・モンクの音のようでもあり・・」と書いてあるのが気になって、(JAZZなんて)と毛嫌いしていたのに聴いてみた。

これが好い。

いちいち気持ちに引っかかってくるのだ。耳障りであること、それは大切。

最近勘違いしていたなあ。

ゼリーではなくプリンな音楽。江戸前の寿司。

心地よさは調和だけではなく、主張があって色や味になって生まれる。

楽家には芸も術も必要だけどその前に生きた音じゃないと。

生きとくべきである、よ。

生きているとは驚くこと。

あとはあきらめちゃえ。

そんなわけで深夜まで一人で音楽をたくさん聴いている始末だ。

聴いた感想やリストは必要ない。

僕が気持ち良さを覚えていられる間が賞味期間なのだ。

食い散らかしている。

血肉になればきっとまた楽しいんだろう。

鼻歌のレパートリーが増える。