仕事のイベントで余ったラジカセを自分の事務所に持ち帰り、家から籠一杯に持ってきたカセットテープを聴いている。
古いロックンロールやパンクロックを、先輩諸氏や友人の音を聴く。新鮮。
先日の「KEEP ON JOOKIN!」でブラジル音楽にふわーりと魅せられたのが原因。
数日後もジョアン・ジルベルトが気になってMXで探す、探す。
仕事場の子に聞くとこいつがまた詳しい。
しかも60年代後半のボサノバ・コンピCDを持っていて貸してくれた。
もうズルーンとはまって気持ち良い。
また、連休中の仕事の合間にチビと細君と一緒にダイエーに買い物に出かけた時に本屋に立ち寄り、町田康の文庫を立ち読み。ずうーっと。
解説に「町田の文はセロニアス・モンクの音のようでもあり・・」と書いてあるのが気になって、(JAZZなんて)と毛嫌いしていたのに聴いてみた。
これが好い。
いちいち気持ちに引っかかってくるのだ。耳障りであること、それは大切。
最近勘違いしていたなあ。
ゼリーではなくプリンな音楽。江戸前の寿司。
心地よさは調和だけではなく、主張があって色や味になって生まれる。
音楽家には芸も術も必要だけどその前に生きた音じゃないと。
生きとくべきである、よ。
生きているとは驚くこと。
あとはあきらめちゃえ。
そんなわけで深夜まで一人で音楽をたくさん聴いている始末だ。
聴いた感想やリストは必要ない。
僕が気持ち良さを覚えていられる間が賞味期間なのだ。
食い散らかしている。
血肉になればきっとまた楽しいんだろう。
鼻歌のレパートリーが増える。