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兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

出来るやつ、出来ないやつ

「仕事が出来るようになりたいです」

「あいつ、使えないなあ」

「なんで僕は出来ないやつなんスかね」

「なんだかんだ言っても結構、使えるよね」 


レコード屋に就職したのが20歳。
それから25年ほど働いてきたけれど、こんな言葉を聞かない職場は無かった。

それがオッサンになってくるとよく聞く言葉になってくるんよね。

気づけばうちの餓鬼共もチームメイトや友達をそう評したり評されたりするようになってきた。大人の世界へようこそ、なんだけど実際に「出来るやつ、出来ないやつ」なんてのは評価に値しない。



■仕事がデキルひと
ズバリ言いますと「相手や成果に誠実であれば」仕事は出来ちゃうし、自分のプレーはチームに貢献します。ええ、もう、それはしますとも。

え!一生懸命なのに誠実じゃないってこと!?とブチギレされるかもしれませんね。

最初に就職したレコード屋の上司に

「お前は情熱はあるけど知恵がない」

と(宅嶋くん、馬鹿だよう)ってことをやんわり教えてもらった僕も似たような経験があります。情熱も知恵も相手の喜びや良い結果の為には必要なんよね。

僕は私は知恵がありましぇん!だけど死にましぇん!って言ってどうにかなるのはテレビと脇の甘い恋愛だけです。(もしくはブラック企業に目立たく就職)



■誠実さ
薄汚れた汚物の跳び箱みたいな僕に「誠実さ」なんて似合わないとお思いでしょう。
もちろん、すべての人や物事に誠実であろうなんて野望は持ちあわせていません。

求める結果に足りないものがあれば、それを補う。
僕の言う誠実さとはその程度のもので、仕事においてはそこにお客さんがいるわけなので、求める結果がお客さんにとって最高であるように設定します。

設定はそんなに難しいことじゃない。
自分や仲間の実力というスタート地点から、お客さんの満足というゴールには距離があり、まずはそこを走り切ること。そして早く走ること。

実力と向き合わず、満足を半笑いで馬鹿にし、うすうす笑いの時間潰しで自分を癒していると仕事はまったく成立せず、多方面から罵られる事になります。

それを他人のせいにしたり、自分の弱さのせいにしたりする余裕がある人はいつまでも結果がついてこない。そんな暇ないよね。ぜーんぜん無いッス。

誠実であり続けるには心も身体もタフで無いとしんどいです。
身体に難があれば心で補い、心に難があれば身体で補い。
どっちもしんどいなら酒呑んで寝る。

まったく僕や中年男子のお酒なんて誠実さの裏ごし豆腐みたいなもん・・・・・じゃないですね、申し訳ありません。

しんどい時は寝ましょうね。
寝れないときは座りましょう。
あなたの誠実さんの為に。


■ウチの餓鬼の話
単身赴任の僕が餓鬼共の状況を詳しく知る由も無いですが、彼らが闘っているのも誠実であろうとするからだと思う事がよくあります。

長男は努力家、長女はのぼせ屋。
どちらも長所です。
両者共に何かを裏切らない為に闘っています。

でも結果はなかなかついてこない。
努力家には努力以上の道筋を見つけにくい。
のぼせ屋は実力不足に苦しむ。

こうすればいいよって言いたい気持ちは山程あれど、長男と長女に失礼だなあと思いあまり言わないようにしています。
失敗してからの修正力、相手や自分を見極める力は自分で身につけたほうがいいような気がするからです

地図無き場所に生きるのは大人も子供も一緒。
大人になるまでは一緒に地図作りをするけれど、決めるのも成功するのも失敗するのも自分やもんね。

大人になってから地図が真っ白になることなんてよくあるし!


■出来るやつ、出来ないやつ
評価は他人がするものだから、「出来るやつ、出来ないやつ」という他人の評価は受け入れるほうが楽。
どっちを言われても自分の行動や結果を見直す機会にはなります。
わざわざ自分でそれを決めつけて落ち込んでいる暇なんてありましぇん。
また地図を書きなおして行動する。
そんだけです。

そのうち「出来るやつ、出来ないやつ」とも呼ばれなくなる日がやってきます。
そんときはきっと「好い人」なんだと思います。

なにも努力せず関心も持たずお金に不自由せず、健康に生きていく事も出来るかもしれないけど、それで評価されたらきっと才能なんでしょうね。
それはそれで良いことー。



同僚や後輩や子供とまだまだ競争できると思いたい。
老いは身体だけでヨカ。
できるだけ迷惑をかけないように頑張ります。
かけたらゴメン。

あと3ヶ月で2012年も終わる。
楽しもうー。