20歳の誕生日を過ぎた頃、大学を中退してレコード屋に就職した。
働きたくてそうしたのではなく、アルバイト先を転々とすることに飽きたのと、大学を辞める理由が欲しかったんだろう。
レコード屋での仕事は楽しく、毎日があっという間に過ぎた。
そんな頃、夢中になって毎週のように漫画を読んでいた。
当時の俺はなぜか自分に恐ろしく自信があった。
なんて恐ろしいことだろう。
オーディションに落ちても落としたほうが悪い、と思い、バンドを辞め照和やチープサイドで歌いだした。
「俺節」のコージに自分を(勝手に)重ねた。
コージとは違い、やりもしない努力をやった気になり、ありもしない才能をもった気になった。
それから20数年経て、
才能とは未開発の魅力のことではなく、無様でも残した結果のことであると思うようになり、
努力とはその過程の一部を他人が評した言葉だと思うようになってきた。
自分の行動に努力とか名前をつける必要なんてないし、まだ見ぬ自分の魅力にはきっと死んでも会えないままなのだ。
土田世紀の漫画は光と闇が一杯だ。
いつの俺が読んでも眩しいです。
この「ものすごい才能を持った、出来の悪い男」というのは編集者が土田世紀を評した言葉。
愛情があるからこその言葉なんだろう。
俺にはその才能しか見えまっしぇん。