長男にも長女にもあまり塾を勧めなかった。
経済的な理由が8割だけれど、それが成績向上につながるとは思えなかったのも事実。
二人とも、特に長女は高校に居残って勉強し進学した。
今考えれば、塾であろうとどこであろうと、彼らがやる気であればちゃんと成績向上に役立てることはできたんだ、と思う。
俺が貧乏ゆえに独学を押しつけたに過ぎない。
申し訳なかったなあ。
まだ、終わってはいないけれど。
この「申し訳なかったな」「悪いことしちゃったな」という感じ。
これは父が晩年、俺に言ってくれた言葉でもあった。
町の本屋の親父に収まりたくない、高度成長期のパワーをフルに発揮したい父は、店舗拡大に飽き足らず、学習塾の経営に乗り出した。「青雲学館」という微妙なネーミングの塾のFCをやることにしたのだ。
少年野球で補欠のピッチャーだった俺は、春休み、夏休みのたびにその生徒として父の経営する塾に参加した。
それは父の勧めによるもので、「申し訳なかったな」「悪いことしちゃったな」というのは、野球をやりたかった俺を無理矢理塾に引き込んだという思いがあったそうだ。
小学校では学級委員に立候補してなったり、お調子者を気取って逆に虐められたり、勉強はそこそこできたけど、スポーツもそこそこで、いわゆる残念なタイプのお坊ちゃんだった。
ひとりであまり他人には言えない妄想をしながらも、どこかそういう自分が怖くて、常に友達と居たかった。
へたくそなのに続けた少年野球もそのチームに居たかったからだ。
補欠のくせにコーチボックスに立つ時は自分が主人公のように思ってオーバーアクションする痛い子供だった。
だから親父の勧めではあっても新しい仲間がいるであろう塾に行くのは嫌じゃなかった。
たぶんそれはそれで楽しかったはずだ。
この写真はその塾のみんなとの写真。
真ん中の一番奥でチョケている。
たぶん誰か好きな子でもいたんだ。
めっちゃ楽しそうやんか。
どんな環境でも楽しくなるもんだ。
長男、長女もそう思ってくれたらいいな。
それだけ学習環境を整えていただいたにも関わらず中学受験には失敗し地元の中学に進んだ。
ギターを買うために新聞配達をすれば煙草を見つかり、
悪目立ちをするたびに職員室で正座やビンタやキックをいただく等、若干の進路変更はあったけど、長く付き合える同級生と会えた。
最高じゃないか、と思う。
俺にとって。
どんどん父に似ていくよ。