スターウォーズ好きという凡庸な人間なので、前日譚には別に違和感を持たない。
物語そのものとドラマや映画の脚本で描く表現は違うものだと思うし、それが楽しさでは無いのかなと。
それは英語のポピュラーソングであるロックを言葉(物語)の意味も知らずに楽しんで育ったからかもしれない。
キリスト教圏の娯楽に西洋人への憧れも相まって夢中になった。
社会に出て子供が育って行く中で自分もある意味育てられ、その「娯楽」の矛盾や欺瞞を知り、自分の物語や環境の理解が深まってきた。
未来は過去にあり、過去を見るその視点の彩りが人生の楽しみを占めるんだろう。
親や元カノの欠点を喋りたがる男を大人だとは思わないし(女もそう)、現在が過去を乗り越えているのか疑問を持つことで未来の見え方は変わってくる。
絶望視してその原因を他人や環境に求める人や、自己肯定感を無駄にする俺のような人間はどこか未熟で幼いままの老人なんだろう。
久しぶりにハマっている朝ドラ「虎に翼」は現代にいる我々のプリクエルだ。
主人公のようにきっとうちの母もチャーミングで生真面目な一面があったのだ。百分の一ぐらいはたぶん、そう。
愛は法で、刃で、炎で、美味しいおやつ。
だけど罪とはなんなんだろう。
「虎に翼」はそんな気持ちにさせる。
無理解で冷酷で嘘つきな人間や政府のせいで主人公は悲しいめにあうのか。確かにそれもあるのだけど、呪わずに生きることの難しさは自分の中にあり、それが罪だとすれば、きっと解く(ほどく)ことは出来るのだ。
いや、出来るかもしれないよ、と脚本家が語りかけてくる。
そこから先、現在から未来をつくるのは視聴者を含めた各々です、と。
朝ドラだから結末は視聴者全員がもう知っている。絶望の底に叩き込まれる訳がない。
わかっていても涙は出てしまう。涙が出ちゃう、気色悪い56歳児。
胸を張って生きなきゃね、と思うけど、一昨日はなんかまた失敗しちゃったしな。
いい人でいることは難しい。
水戸さんがそう歌っていたっけ。
本当にそうス。
俺の罪のプリクエル。
都合の悪いことは忘れているからなー。
でもこれから少しずつ出会うんだろうな。
歳をとるとはそういうことかもしれない。