苦手ではなく「下手」だった。
妄想小学生だった僕は、頭の中でお話を作る事が好きで嘘をつくことも(楽しい)と思っていた。
そのせいか、自分の言いたいことをただ書き散らしてしまう。
誰に伝えたいのか?
作文コンクールのまだ見ぬ審査員に、教育委員会のセンセイに伝える?
テーマになっている人に?
それがいつも読み手になった自分へ向けて書いてしまう。
自分への評価はアマイ。
ゆえに上達しない。
去年、ライターの元木哲三に「文章を書く仕事をさせて欲しい」と頼み込み、書き起こしや取材に同行させてもらい数万字を書かせてもらった。仕事としては拙く、迷惑をかけたのではないかと実は落ち込んでいたのだけど、自分にとっては素晴らしい経験だった。
そのうち何が伝えたかったのか、ただチラリと裸を見せたかったのか、ポロリとパンツからこぼしたっかったのか、よくわからなくなる。
弾けないギターをかき鳴らす酔っぱらいによく似ている。
元木くんや栗田さんに教えてもらった文章のルール。それは楽器のそれと同じだ。
(あんまりちゃんと覚えてないけど)文章にもコードやペンタトニックがある。
美しい和音を奏でるにはルールがある。
知れば知るほど面白い。
妄想中年である今の僕は小学生の頃よりタチが悪く、下手を楽しむようになってきた。
文章術の本を立ち読みすることはあるけど、早く中身を忘れようと思ってしまう。
それは自分の和音を発見することに喜びがあるからだ。
テーマや世の中を通じて自分を知ることも楽しい。
そして自分の中にも和音が在る事を知るとすっごく人生は楽しい。
(それ以外は本当につまらない)
プロフェッショナルでなくても書くという表現は素晴らしい。
元木くん、ありがとう。
でも悔しいから御礼はこれくらいにしときます。
元木くんが経営する会社が運営している「文章の学校」。
福岡にお住まいの方は、是非参加してみるといいですよ。
僕にとっては小憎たらしい高校の後輩ですが、プロフェッショナルな物書き・元木哲三、ライティングマスター・栗田真二郎と、いつ会っても気持ちが良いスタッフさんがいます。
書くということは・・・
そろそろ出ないと会議に間に合わないということでした・・。
行ってきます!