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兼業SSW、宅嶋淳の徒然です。

「スマイル」~藤井さんに

このところ、メルマガもお休み、ライブもほとんど休みで「なにか言いたい」気持ちにならない。(ならないから休んでいるのだけど)

そうすると「なにも言えない」けど胸が押しつぶされそうな気持ちになる出来事が起こる。

自宅近所の子育て仲間、バンド仲間が立て続けに亡くなった。
そして闘病していた古い友人も亡くなった。

彼女は藤井よしえ

僕が最初にあったのは玄界灘音楽事務所の時。
「ギョーカイ人とかみんな馬鹿ばっかり!」と手前の莫迦さ加減を棚上げし、ライブの企画運営やレーベルみたいな事をやっていた時だ。

藤井さんはまだ保険会社(だったかな)のOLをしながら、友達と一緒にイベントを立ち上げてやっていた。玄界灘音楽事務所に興味を持ってくれたのか、会って話をした。
名刺をどうする、こうする・・・ああ、もうよく思い出せないけど、やる気満々の彼女はイケイケ姉さんだった。(きっと)


僕はその事務所を倒産させてしまい、流転の日々を過ごした。
子どもも小さく、とにかくお金が欲しかった。
色んな仕事をしながらも、歌うことや音楽に逃げたり救われたりした。
音楽の正体もわからず、自分の正体もわからず。


そんな日々の中、彼女に再会した。
すでに彼女は福岡の音楽シーンの立役者と呼ばれていた。
IFFの仕事だったか、数年ぶりに会った藤井さんはなんか優しい感じになっていた。
彼女が主催するイベントに誘われて出るようになってもそれは変わらなかった。


でも僕は大活躍する藤井さんの姿にあまり感動したことが無かった。
それは嫉妬心からだろう。
藤井さんだけでなく、年下の才能豊かな人達の眩しさを直視するのが嫌で
あんまり気づかないようにしていた。

また自分の愚かなスタイルとは違い、クレバーなライブ運営を嫉妬心からどこか苦々しく感じていたと思う。
理屈は僕にもあるけれど、根っこにあるのはきっと嫉妬なのだ。
そして僕は嫉妬することも面倒になり、藤井さんのことを考えなくなった。
男の嫉妬は他人のも自分のも面倒だから。


それがこの数年、藤井さんに会うたびに懐かしい気持ちや、彼女への好意が自然と湧いてきた。きっとそれはgigiで歌わせてもらうようになってからだ。

長く、濃く話した事はあんまり無いけれど、アホみたいな情熱と素直さ。
年下なのに、同級生と話しているような感覚だった。
gigiで会う藤井さんが好きだった。

僕は素直に、彼女から褒められる歌い手になりたかった。
実際、褒めてもらえるとうれしくてまた焼酎をおかわりしてしまう。
小さなハコのgigiは居心地が良かった。


僕は彼女から場所や機会を与えられた。
それを活かし育て、愛でるのはこれからだ。
藤井さんにはそれを受け継ぐ仲間がいて、彼らもそれを楽しむに違いない。

僕は何をしようか。
残念なことに能力は驚くほど無い。
マッチを擦るような歌しか歌えない。

もし僕が藤井さんからなにか受け継ぐならば、笑顔がいい。
目の奥は笑ってないかもしれんけど、他人を受け入れるあの笑顔がいい。
そのバトンをまた誰かに渡す日まで笑っていたい。


友達と言える程の仲でも無いし、僕は地元のロートルシンガーの1人に過ぎない。
裏方としても彼女の程の努力もして来なかった。
僕は音楽を事業には出来なかった。

そんな僕でも彼女を思い出すと優しい気持ちになり、そこにギターがあれば歌いたい。
馬鹿騒ぎをニヤニヤ眺めながら酒を呑んでいたい。


僕は明日も笑う。


三浦さんをはじめ、スタッフの方々。
これからも一緒に笑いましょう、楽しみましょう。

笑ってみとき。
藤井さん、お疲れさまでした。