路上で不運にも轢かれた猫。
小学生の頃は何故だか妙な正義感と言うか、自分しか見えないメガネでもかけていたのか、カチカチに固くなったその遺体を持ち上げて、近くに埋めていた。
徐々に遺体が怖くなってしまった。
中にはとても悲惨な姿もあり、自分が手を「汚す」ことへの嫌悪感が大きくなって来たからかもしれない。
原チャリに乗っているとそうした猫の遺体に出くわしてしまう。
歳をとったせいか、胸が潰れそうになる。
何度も何度も轢かれたんだろう、完全に平面になっているものもあって、交通量の多い国道を堰き止めて遺体を葬るのは相当な情熱が必要だ。
すまんね、と出来もしないことに謝ってみせるよりかは、こげなとこで死ぬなボケ!と腹を立てるほうが嘘がない。
でも、ホントに毎回何かを削られる気がする。
自分で自分を削っているんだろうけど。
猫のみなさん。
道路を渡るのは諦めてほしい。
人が愛情を持てるのはとても限られた時間なのだ。
それがあんたらに注がれるのは、せめて同居してる家の中とか、限られた環境。
こうして伝わらない文字にして自分を慰めるような愚かな生き物なんで、あんたらにはおそらく優しくない。
もう、ホントに気をつけて。